『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』の包括的なテーマである「美のホラー」は、ボディホラーや「美の痛み」という女性蔑視的な考え方から着想を得ています。私は本作を通して、美がもたらす束縛や、それが若い女性たちにどのような影響を与えるかについて、さらに深く追求しました。ボディイメージや、女性らしさについて、長年葛藤してきた私にとっては、とても個人的なテーマでもあります。私がこの作品で目指しているのは、観客がこの物語に触れることで、共感や不快感を覚えて自らを振り返り、エルヴィラの体験に完全に入り込むことです。観客が、自らの身体をエルヴィラの肉体的な苦痛と重ねることで、強い身体的なつながりを感じ、自分自身について深く考える機会になることを願っています。
エルヴィラの旅路は、到達不可能な基準を身体に課すことからくる苦しみを強調しています。私は、ボディホラーというジャンルに対する、デヴィッド・クローネンバーグ監督のアプローチからインスピレーションを得ました。クローネンバーグ作品では、身体の変貌が一つのメタファーとして、キャラクターの欠点やジレンマ、内なる恐怖を表現し、さらに社会が個人に対してどのように影響を与えるかについて政治的な意見を述べているのです。
この物語はまた、童話「シンデレラ」の豊かな歴史、特に映画『ブラザーズ・グリム』(05)に登場するシンデレラの物語からもひらめきを得ています。『ブラザーズ・グリム』に登場するシンデレラの義姉妹たちは、靴を履くために足の一部を切断してしまいます。時を越えて親しまれてきたシンデレラの物語は、これまで様々な形で脚色されてきました。聖書の逸話や中国の民話が登場するもの、有名なフランス語版やドイツ語版、あまり知られてはいないですが、ノルウェーやドイツで愛されてきた1970年代のチェコ語版などが代表的です。私は、一つのバージョンに固執せず、自分が共感する要素を組み合わせ、自分自身の解釈を加えました。どのバージョンも結局は物語であり、時代から時代へと口承によって語り継がれてきた民話だからです。このような物語は、人々を楽しませ、普遍的な価値観を伝えるために語られていきます。
現代のシンデレラ物語として語ることもできたと思いますが、私は最初から、特定の時代ではない、曖昧な「昔」として舞台を設定しようと決めていました。そうすることでこの物語の主題は、現代の問題に共鳴するのです。それと同時に、今もなお私たちの美やアイデンティティーに関する視点を形成し続けている文化的伝統に根ざし、時を越えた普遍性を持つことが際立っているのです。
監督・脚本:エミリア・ブリックフェルト
1991年5月20日生まれ、ノルウェー出身。
ノルウェー映画学校の卒業制作として2018年に制作した作品『SARA’S INTIMATE CONFESSIONS(原題)』が、2018年ロカルノ国際映画祭や2019年クレルモン=フェラン国際短編映画祭など、数々の映画祭に選出された。そのほか、大胆かつ挑発的な短編映画で高い評価を集めてきた。本作『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』は、長編監督デビュー作となる。